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HISTORY
鬼怒川線沿線地域に
おけるSLの歴史
鬼怒川線沿線地域で当時活躍したSLの歴史をご紹介します。
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HISTORY
鬼怒川線沿線地域で当時活躍したSLの歴史をご紹介します。
今回、SL復活運転を開始した鬼怒川線沿線地域で、最後にSLを運転していたのは、鬼怒川線の新高徳駅と国鉄東北本線の矢板駅を結んでいた東武矢板線です。東武矢板線は、下野電気鉄道が、矢板線として沿線の豊富な林・鉱産資源の輸送を目的に、大正9年4月に工事着手し、部分開通を経ながら昭和4年10月に全通させた路線です。全通当初は、下今市駅から当社のSLによる直通運転が行われ、ベイヤー・ピーコック社やネルソン社製を主力として運行し、その後、昭和18年5月に当社が買収して、東武矢板線となりました。永く沿線地域で「ポッポ汽車」として親しまれ、晩年の頃には、客車1両と貨車を小さなSLが牽引する混合列車として運転しておりましたが、この珍しくも素朴な光景も時代の趨勢に押され、東武矢板線は、昭和34年6月30日限りで廃止となり、以降、鬼怒川線沿線地域でSLの姿を見ることはなくなりました。その後、昭和41年6月に、カジノレオ バースデーボーナスすべてのSL運行が終了し、東武鉄道で燃え続けた“カマ”の火はすべて落ちることとなりました。
このたび、鉄道産業文化遺産の復元・保存および日光・鬼怒川エリアをはじめとする栃木・福島エリアの地域活性化を目指し、SL復活運転という壮大なプロジェクトが始動し、当社としては約半世紀ぶりにSLが走ることとなりました。本プロジェクトでは、SLが復活運転するだけでなく、かつてのように沿線地域を始めとする皆様に愛され、地域の生活や観光の活力となり、地域をけん引するような存在となることを目指しております。SL復活運転をきっかけとして、日光・鬼怒川の魅力をたくさんの方に感じていただけるように、沿線地域の皆様と一体となり、この復活運転プロジェクトに取り組んでまいります。
本プロジェクトは、
みなさまのご協力・ご支援のもと、
その託された想いを受け継いで
推進していきます。