新・駅前そぞろ歩記
東武宇都宮線の野州平川駅と野州大塚駅は、新栃木駅と壬生駅の間にある小さな駅。「大塚」は古墳の所在に由来する典型的な地名で、東武線をはさんで南北両側に16基の円墳があります。さらにこの地域には奈良・平安時代に下野(しもつけ)国庁や国分寺が置かれました。つまり、古代から中世にかけてこの地は政治・経済・交易の拠点だったのです。
東武宇都宮線の野州平川駅と野州大塚駅は、新栃木駅と壬生駅の間にある小さな駅。「大塚」は古墳の所在に由来する典型的な地名で、東武線をはさんで南北両側に16基の円墳があります。さらにこの地域には奈良・平安時代に下野(しもつけ)国庁や国分寺が置かれました。つまり、古代から中世にかけてこの地は政治・経済・交易の拠点だったのです。
下野(しもつけ)国庁跡は両駅から4キロほど南の広大な田園の中にあります。目印は朱に塗られた柱の建物。これは国府の役人が儀式を行った前殿(ぜんでん)を復元したものです。その周囲には平地が広がるばかりですが、昭和51年から始まった発掘調査の結果、奈良時代後半には約95m四方の国庁域を中心に、東西500m以上、南北1000m以上の範囲に役所の建物群が計画的に配置されていたと推定されます。その全景の復元模型を展示しているのが下野国庁跡資料館。木簡や硯(すずり)などの出土品も公開されていて、当時の国庁での政務や官人の生活の一端を知ることができます。
国庁跡の東に流れる思(おもい)川を渡れば、親鸞(しんらん)上人の大蛇退治伝説が残る蓮華(れんげ)寺。いまでも寺の裏手に伝説の池があり、少し離れた農地の中に親鸞お手植えとされる1本の彼岸桜が保存されています。
蓮華寺から南へ下ると「天平の丘公園」に出ます。ここにある「しもつけ風土記の丘資料館」には、この地で発掘した出土品や国分寺周辺の地形模型、七重塔の模型などが展示されています。そして下野国分寺跡。奈良時代に聖武天皇の命で全国に建立された国分寺のひとつで、広大な領地内に金堂、講堂、七重塔などがあったと推定されています。また近くには下野国分尼寺(こくぶんにじ)跡もあり、薄墨(うすずみ)桜の名所にもなっています。
天平の丘公園は、美しい自然林と貴重な史跡が残された公園です。木立の両側に万葉集の歌の木札が掛けられた防人(さきもり)街道は「関東ふれあいの道」に指定されています。
天平の丘公園が一番賑わうのは春。園内には450本の桜が植えられていて、3月下旬から5月上旬にかけて早咲きの淡墨桜から八重桜、石割桜、ウコン桜、そしてその後のツツジまで、移り変わる花見を楽しむ「天平の花まつり」が開催されるのです。期間中は出店が多数でステージイベントも行われ、花見の人出で大いに賑わいます。
国庁も国分寺も奈良時代に誕生しましたが、それよりもっと古い歴史をもつ古社があります。それは野州大塚駅の南東に鎮守の森をもつ栃木県最古とされる大神(おおかみ)神社。下野一之宮で、3世紀頃に崇神(すじん)天皇の皇子が東国平定のために大和の大神(大三輪)神社の分霊をこの地に祀ったのが始まり、と伝えられています。その後に下野国府の長官が下野国中の神々を勧請(かんじょう)して祀ったもの。鬱蒼(うっそう)とした古木の緑に囲まれて建ち並ぶ拝殿や本殿が、歴史の深さを物語っています。境内には池があり、それぞれ神を祀る8つの島が橋で結ばれています。これは「室(むろ)の八嶋(やしま)」と呼ばれ、平安時代から都にまで聞こえた名所で、松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で、わざわざここに立ち寄り句を残しています。
さて、散策の仕上げに美味しいスポットを紹介。栃木県といえばイチゴ王国ですが、野州大塚駅の近くにはイチゴ狩りができる観光農園「アグリの郷」があります。期間は12月から5月上旬まで。人気の品種「とちおとめ」の他に幻のイチゴといわれる「とちひめ」(要予約)も栽培しており、摘みたての美味しさが30分食べ放題!地元の新鮮野菜や、玄米を揃えた直売所も併設しています。
PDFファイルをご覧になるには、Adobe Readerが必要です。
Adobe Readerは、アドビシステムズ社より無償配布されています。