新・駅前そぞろ歩記
東武東上線は1914(大正3)年に開業(当時は東上鉄道)しましたが、朝霞台駅が開設されたのは60年後の74年です。じつはその前年に国鉄(当時)武蔵野線が開通し、東上線の朝霞駅~志木駅の間で交差する地点に北朝霞駅を開設。その乗り継ぎの便を図るため、東上線に朝霞台駅を開設したのです。それまでこの地は田畑が広がるばかりの丘陵地でしたが、朝霞台駅の誕生によって駅周辺には新しい街が出来上がっていきました。
朝霞台駅の乗降人数は、東上線では池袋、和光市に次ぐ多さ。朝霞台駅北口とJR北朝霞駅に面したロータリーには両駅を行き来する人たちの波が絶えることがありません。そして朝霞台駅北口の東側には、駅名の由来となった台地が広がっています。この地域を巡ってみましょう。
朝霞台周辺に住む市民にとって一番親しまれている自然環境は、朝霞市内をほぼ東西に流れる黒目川です。川幅10mほどの緩やかな流れの両側に桜並木の遊歩道。春は桜祭りで大いに賑わいますが、春に限らず四季折々の景観が訪れる人々を楽しませてくれるスポットです。川にはアユやハヤなどの魚が棲み、川面にはカモがぷかぷか。イソシギやカワセミも飛来し、その川風景を眺めながら散歩する人々。鉄橋を渡る電車の響きもまた、素敵な音風景です。
黒目川と新河岸川を望む台地には城山公園。
元は中世に築かれた岡城の城跡で、いまでも土塁や空堀が残っています。ただ最近、樹木の枯れ被害が起こり、城跡への立入りが制限されています(8月現在)。安全確認された場所から順次開放されるとのこと。公園内のわんぱく広場や、花と水の広場は開放されています。
城山公園からさらに黒目川の下流に進むと、柊塚古墳が見えてきます。6世紀初めの築造と推定される全長72m、墳長約66m、高さ8.5mの前方後円墳ですが、前方部は後世の耕作などで失われている部分も。これまでの発掘調査では、後円部の墳頂で埋葬施設2基が確認され、当時の家屋を模した家形埴輪や馬形埴輪などが出土しています。柊塚古墳はいま歴史広場として公開。家形埴輪をモチーフにしたトイレや、馬形埴輪をモチーフとしたモニュメントなどがあります。
黒目川と新河岸川に面するこの地域には多くの古墳(根岸古墳群)が確認されていますが、現在も墳丘が残存するのは柊塚古墳のみ。
その近くには一夜塚古墳があり、銅鏡や馬具、埴輪などが出土しましたが、小学校の拡張工事で円墳は削り取られてしまいました。
このような朝霞の歴史と文化をもっと詳しく知りたい! と思ったら、朝霞市博物館へ。
根岸古墳群の出土物を収蔵し、家形埴輪と円筒埴輪を常設展示しています。また、江戸時代から黒目川に設置した水車の動力で発展した伸銅業を再現した等身大模型や、膝折宿の街並みジオラマ、黒目川や新河岸川の舟運の河岸場の模型……古墳時代から現代まで、朝霞の歴史と文化の源流は黒目川にあるのです。
PDFファイルをご覧になるには、Adobe Readerが必要です。
Adobe Readerは、アドビシステムズ社より無償配布されています。