新・駅前そぞろ歩記

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多くの人で賑わう東京都内屈指の観光地・浅草。その喧騒からほどよく離れた「奥浅草」と呼ばれるエリアは、浅草寺・言問通りの北側一帯です。
商店街や住宅街の中に歌舞伎の江戸三座跡や吉原跡、寺社が点在する庶民文化歴史探訪の街。
折しも「東武健康ハイキング」では、来年の大河ドラマにちなんだ「話題の蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)に思いを馳せる街歩き」という新コースを今月開催。このコースを参考に奥浅草の散策へ。

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 浅草駅から隅田川に出て、対岸にそびえる東京スカイツリー🄬を横目に河川沿いの隅田公園を上流へ歩いていくと、言問橋(ことといばし)西交差点。
言問通りを北へ渡れば、そこから奥浅草の始まりです。まずは待乳山聖天(まつちやましょうでん)にご挨拶。待乳山は錦絵や『江戸名所図会』にも出ている江戸随一の眺望の名所。現代は高いビルに阻まれていますが、その名残はあります。この寺のシンボルは大根と巾着。大根は健康増進、巾着は商売繁盛を表し、いずれも聖天信仰に通じるものです。
 待乳山聖天の北側には招き猫で知られる今戸神社がありますが、その間にはかつて隅田川に注ぐ山谷堀(さんやぼり)という水路があり、江戸時代は舟で山谷堀を通って吉原に行くことが贅沢とされていた由。現代は暗渠(あんきょ)となり、水路に沿った遊歩道には山谷堀公園。園内には山谷堀を行き来した猪牙舟(ちょきぶね)が展示されています。
 ところで、喜多川歌麿や東洲斎写楽、山東京伝(さんとうきょうでん)などを世に送り出した江戸の浮世絵版元・蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、吉原に生まれ育ち、後に日本橋に進出しました。その墓所は東浅草の正法寺(しょうぼうじ)にありましたが震災・戦災で失われ、現在は蔦屋家の墓碑と重三郎母子顕彰碑が建っています。というわけで、次は蔦屋重三郎のふるさと・吉原に向かいます。

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 吉原遊郭の唯一の出入り口は吉原大門(おおもん)。江戸当時は黒塗りアーチ型の楼門だったそうですが、現在は仲之町通りにモニュメントとして柱が建っています。その近くには「見返り柳」。吉原で遊んだ客がこの柳付近で遊郭を振り返ったといわれ、現代でも絶やさず植え替えているようです。
 吉原神社は遊郭の鎮守だった五つの稲荷神社を合祀したもの。江戸時代の祭礼では花魁(おいらん)道中や即興劇などで賑わったとか。その吉原神社の奥宮が吉原弁財天。境内の岩の上に立つ吉原観音像は関東大震災の犠牲者を供養するために建てられました。ここから国際通りに出ると、11月は酉とりの市で賑わう浅草鷲おおとり神社や、人間国宝となった歌舞伎役者17代目中村勘三郎の墓所・西徳寺(さいとくじ) があります。
 奥浅草の奥……白鬚橋(しらひげばし)の近くの住宅街の中に、築地塀に囲われた墓所があります。ここに眠るのは、江戸のマルチプレイヤー・平賀源内。墓石の傍には平賀源内顕彰碑が建ち、その裏面には源内を偲ぶ杉田玄白の碑文が刻まれています。また、吉原にちなむ洒落本で有名な山東京伝は、平賀源内に引けを取らない器用人でした。彼が使っていた机が埋められた山東京伝机塚の碑は、浅草寺本堂裏の九代目市川團十郎像の近くにあります。

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