新・駅前そぞろ歩記
「武蔵嵐山」の名の起こりは昭和初期。大正期には地元の地名からとった菅谷(すがや)駅が開設されましたが、昭和3年に「公園設計の父」といわれる本多静六博士が、当地の槻(つき)川の景観を眺めて「京都の嵐山(あらしやま)に似ている」と讃えたことからこの地が「武蔵嵐山」と呼ばれ、昭和10年に武蔵嵐山駅と改称されました。さらに昭和42年には、自治体名も菅谷村から嵐山町となったのです。今年の5月1日、武蔵嵐山駅構内には、観光案内をする嵐山町ステーションプラザ「嵐なび」がオープンしました。
嵐山町を含めた比企(ひき)地域には69か所の城館跡が確認されており、その中で代表的な4城館のうち菅谷館(すがややかた)跡(嵐山町)が昭和48年に国指定史跡となり、続いて杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)、松山城跡(吉見町)が平成20年に指定され、これらを合わせて比企城館跡群と呼ばれています。今回紹介するのは、続日本100名城にも選ばれた菅谷館跡。武蔵嵐山駅から南へ15分歩くと、都幾(とき)川と槻(つき)川の合流地点を望む台地上に菅谷館跡が広がっています。
菅谷館の主は源頼朝に従って源平合戦で活躍した畠山重忠。勇猛果敢で人格、教養も優れて鎌倉武士の鑑(かがみ)といわれたそうです。いま残っているのは戦国時代の城跡で、山内(やまのうち)上杉氏と扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の争いの中で再整備されたものと考えられています。
菅谷館跡の構造は、本郭を取り囲むように二ノ郭(くるわ)、三ノ郭、西ノ郭、南郭が配置され、各郭は深い空堀と高い土塁で囲まれ、簡単に攻め込めない造りになっています。
菅谷館跡は起伏に富んだ地形に、木々の緑が眩しく自然豊かなので、歴史だけでなく草花も楽しめるスポットです。6月ならばギンリョウソウやニガナ、ホオノキ、ヤマボウシなどが見頃かも。
また、三ノ郭には埼玉県立嵐山史跡の博物館があり、畠山重忠の鎧人形や比企城館跡群の出土品、民俗資料などが展示されています。
なお、平安時代末期に活躍した木曽義仲もまた、嵐山町ゆかりの武将と言われています。鎌形八幡神社には義仲公の産湯に使ったといわれる清水が、いまも湧き続けています。
菅谷館跡に隣接する広大な雑木林は自然の宝庫。オオムラサキの森では6~8月にかけ、日中に雑木林の周辺で青紫色に輝くオオムラサキの美しい姿を見ることができます。嵐山町では、約40年前から住民と行政の協働による生息環境の保全活動を行っており、オオムラサキの森活動センターはその拠点となっています。蝶の里公園とホタルの里も嵐山町が整備した自然保護地。これらの保護地が一体となってチョウやホタル、トンボ、野鳥などが安心して暮らす天国になっているのです。
森の近くを流れる槻川と都幾川。槻川の上流約1キロにわたる嵐山渓谷では、岩畳と清流と周囲の木々が織り成す見事な景観が続きます。とりわけ紅葉に彩られた秋の渓谷は、京都の嵐山に例えられる美しさ。水に親しむ夏なら槻川橋の下に広がる河原がおすすめ。穏やかな流れで水深も浅く、子どもでも楽しく水と戯れることができます。
さらに、嵐山町観光協会が運営する嵐山渓谷バーベキュー場もあり、手ぶらで来ても楽しめるように道具や食材を揃えています(要予約)。ちなみに旅行誌による「バーベキュー場&キャンプ場人気スポットランキング」で、ここが日本一の座に。また都幾川下流の学校橋河原でも、水遊びやバーベキューが楽しめます。
槻川橋の近くに新しいスポットが誕生。富良野を除けば日本最大となるラベンダー農場「千年の苑」では、6~7月に6万本のラベンダーが開花します(予定)。また「槻川散策回廊」では、川の景観や季節の草花を楽しむことができます。
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