新・駅前そぞろ歩記
江戸時代、日光街道が利根川を越える地点に栗橋関所が置かれ、そこから宿場町として栄えたのが栗橋の始まりです。1929年には東武日光線の開通によって国鉄東北線に並んで栗橋駅が開設。そんな栗橋の町で「くりはし八福神巡り」という慣わしがあり、御朱印の押印(1/3~15)があります。七福ではなく八福神?
さっそく巡ってみました。
そもそもなぜ八幅神なのか? 七福神を参拝すると七の災難が除かれ七の福を授かるといわれています。それに比して八の社を参拝すると、もうひとつ八の福を授かり、八方よけ・八方広がり・末広がりとなり、じつに縁起がよく、けっこう全国各地に八福神巡りがあるのです。というわけで、ほぼ平坦な道を10㎞、約2時間半の「くりはし八福神巡り」。栗橋駅西口からスタートします。
駅近くの住宅街の中に迎盛院(こうじょういん)を発見。ここには弁才天(愛敬・蓄財・芸術)が祀られています。右隣には人頭蛇身の像。これは宇賀神(うがじん)という立派な神様で、弁才天と合体して宇賀神弁天とも呼ばれています。
ここからずっと南下して次の定福院(じょうふくいん)を目指します。定福院で待っていたのは布袋尊(福徳・円満)の呵呵(かか)とした笑顔です。境内に並ぶ五百羅漢にも合わせて参拝。次に向かった寶聚寺(ほうじゅじ)では七福神+αの吉祥天(永遠・吉祥)が神々しいお顔で出迎えてくれます。
余裕があれば、栗橋文化会館(イリス)の敷地内に移築・復元された吉田家水塚(みつか)を見学してみてください。水塚とは洪水に備えて自宅敷地内に塚を築いてその上に建てた避難蔵で、利根川沿いの暮らしの知恵を伝える貴重な資料です。
八福神巡りは寶聚寺から踵(きびす)を返してしばらく北上し、常薫寺(じょうくんじ)の境内で米俵に足を乗せた大黒天(知恵・有福・蓄財)へ。そこから利根川の流れに沿った旧日光街道に出ます。かつての栗橋宿の賑わいはないものの、ぽつりぽつりと古い石蔵や町屋造りの家が残り、宿場町の面影を偲ばせています。また、西本陣跡では発掘調査が行われ、食器などの日常品が次々と発掘されています。
その街道の左右に面して顕正寺(けんしょうじ)、浄信寺(じょうしんじ)、深廣寺(じんこうじ)が隣接しあい、それぞれ毘沙門天(厄よけ・勇気・授福)、寿老人(長寿延命・除難)、恵比須(商売繁盛・産業降盛)を祀っています。
さらに街道を進んでいくと栗橋関所跡の碑、その先に栗橋宿の総鎮守・八坂神社があります。
八福神巡りの締めは福寿院(ふくじゅいん)の福禄寿(福徳・人望・長寿)。小さな境内ですが、栗橋宿の造成とともに創建され、この寺院から八坂神社が分離されるまで栗橋宿の鎮守でした。
満願達成した後は、静御前(しずかごぜん)の墓所を通って栗橋駅東口へ。静御前は義経を追って奥州に向かう途中に栗橋で亡くなったと伝えられています。そして八福神巡りとともに楽しみたいのは「栗橋まちめぐりスタンプラリー」(~1/31)。7カ所のスタンプを集めると、抽選で「静御前オリジナル扇子」が当たります。
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